教育虐待について親がやるべきこと
最近、教育虐待という言葉をよく耳にします。
教育虐待とは「子供の受忍限度を超えて勉強等を強制すること」とされています。
先行き不透明なこの時代、子供の将来に不安を感じる親が、我が子になるべく多くの教育を施そうと幼児期から習い事や塾通いなどを強制するものです。
もちろん、子供が楽しんでいるのなら良いのですが、中にはスケジュール漬けにされ、大きな負担を強いられているケースも少なくありません。
昨年も中学受験のための学習指導の名のもと、父親が言うことを聞かない息子を殺害してしまうと言う悲しい事件がありました。
そもそも「教育」とは何かということですが、教育とは本来、子供にスポットを当てて考えるべきですが、子供を見ずに「これからの時代はこんな人材が求められているから、そのためには」と目的ありきの考え方になっているのではないかと思われます。
いわゆる会社でいう「人材育成」と同じようにです。
このように、時代に求められる「型」に子供をはめようと躍起になってしまう親自身の焦りや不安が教育虐待の引き金になっていくように思います。
親が持つ「この子はちゃんと生きていけるだろうか・・・」という不安を解消するため、親が考える解決策を与えようとしている訳です。
しかし、子供はこれから親の価値観を超えた世界で生きていかなければなりません。
親が与える解決策はあまり意味がないのです。
では、親がやるべきことは何かということですが、それは子供の「やり抜く力」を育てることではないかと思います。
習い事にしても、学習塾にしても、部活動にしても、親が強制するのではなく、子供自身が求めるものでなければなりません。
それによって、夢中になり、達成し、または挫折を味わい、そして壁を乗り越えることで、やり抜く力を身につけていくのだと考えます。
親が用意したレールの上を、自分の意に沿わないまま走り続けることは、子供にとって苦痛でしかありません。
そのことに大人(親)は、気づく必要があります。