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道徳の授業が教科化されるー道徳とはなにか

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道徳

道徳の教科化が始まります。小学校では2018年度から、中学校では2019年度からです。 
教科化に踏み切るきっかけとなったのは、2011年に起きた「いじめ」による中学2年生の自殺でした。 
 
 
事件の翌年には「いじめ防止対策推進法」が国会で可決されるなど、いじめ対策を推進するうえでのひとつのターニングポイントとして、この事件は位置付けられています。 
 
 
たしかに「いじめ」対策は必要ですし、学校から悲惨ないじめはなくしたい。
しかし、その方策のとして道徳を教科化するということが、はたして正解なのかどうか・・・難しい問題です。 
 
 
道徳が教科として定められることによって、授業では文部科学省の検定に合格した教科図書、いわゆる教科書を使わことが義務化され、当然、評価も実施されます。
 
 
これについては、「国よる教育統制や価値観統制が強まる」という懸念を抱く意見が多くあります。
道徳は何よりも私たち個々人の生き方に深く関わる価値を扱う教科ですから・・・
 
 
この道徳的価値を国が学習指導要領で定めたうえに、それに基づいて作成される教科書を国が検し、しかも、教科書を使用する義務が学校や教員に課せられるようになるのです。 
二重・三重に国が関与するようになるということです。 
本当にそれでいいのでしょうか。 
 
 
心配なのは、この「評価」の部分です。 
 
 
文部科学省では数値を使わずに、子供がいかに成長したかを記述する個人内評価とするよう求めていますが、子供達一人ひとりの生き方や考え方を、学校を介して国が評価するというのはどうでしょうか。 
 
 
また「評価は入試には利用しない」とさかんに強調していますが、進路についての指導において評価が利用されないという保証はありません。 
 
 
そうなると、子供達もバカではない訳で、国が定める道徳価値を身につけたかのように振舞ったり、自分の発言や行動を調整するようになる、つまり、本音と建前を使い分けるようになるかもしれません。 これは実に恐ろしいことです。 
 
 
文部科学省のホームページから「道徳科」の教科書を閲覧することができます。 
小学校1・2年生の教科書に次のような項目があります。 
 
 
まず、お題目として「あなたのことを おしえてね」と書いてあります。
 
 
そして、 
 
・すきな 食べもの 
・とくいな こと 
・たからもの 
・いちばん うれしかった こと 
・すきな あそび 
・できるように なりたい こと 
・しょう来の ゆめ 
 
 
を自由に書かせるようになっている。 
おそらくこの問いには、模範回答があるはずです。 
 
 
「いちばん うれしかった こと」「嫌いな友達が 先生に叱られて泣いたこと」と書いてはダメなわけです。 
 
 
「しょう来の ゆめ」「一生、遊んで暮らす」と書いてしまっては、間違いなく「ゼロ」評価でしょう。 
 
 
しかし、その一方で「しては ならない ことが あるよ」というページには、「うそを ついては いけません」とある。 
 
 
自分の気持ちに正直に「一生、遊んで暮らす」と書いたのはダメで、うそで「宇宙飛行士になる」はOKとなる訳です。 この矛盾を先生は子供にどう説明するのでしょうか。 
 
 
道徳は必要だと思います。 
しかし、考えるべき道徳的価値が、あらかじめ決められているのでは意味がありません。 
道徳は教科書で学ぶものではないような気がしてなりません。 
 
 
学校の日常生活の中で、葛藤や対立、困惑や悩みなどが発生したとき、社会に生きる一人の人間として、どのように考え、振舞えばいいのかを学ぶ機会があればいいと思うのです。 
 
 
そうした機会が柔軟にあってこそ、子供達は道徳や倫理を自らの問題として受け止めることができるのです。 
 
 
あなたは「道徳の教科化」について、どう考えますか。