本田宗一郎の教え「働く意義」とは
今日は教育には関係ありませんが、私が「働く意義」について考えさせられた「本田宗一郎」の引退エピソードをお話ししたいと思います。
本田宗一郎といえば、世界のホンダを一代で築き上げた伝説の経営者として有名です。
仕事にはすこぶる厳しい人で、怒鳴ることは日常茶飯事、口より先に手が出ることもしばしば。
しかし、叱ったあとは決まって怒りすぎたと反省し、フォローを忘れなかったと言います。
根っからの技術屋で会社経営は役員に任せ、工場で油まみれになって開発に没頭するなど、社員からは「おやじ」と慕われる存在でした。
ホンダの名前が世界的に有名になった一つに「CVCCエンジン(低公害エンジン)」の開発があります。
昭和45年、アメリカで環境汚染に配慮した「マスキー法」と呼ばれる法律ができました。
今までの車の排ガス濃度を90%も削減しなければならない厳しいもので、当時どこの自動車会社も、この法律をクリアするエンジンを造るのは不可能だと反対しました。
しかし、宗一郎はこれをチャンスだと捉え、エンジンに送り込むガソリンの量を減らすことによって、見事マスキー法をクリアするエンジンを世界で初めて開発することに成功したのです。
ホンダが開発した低公害エンジンは、すぐに大きな反響を呼びました。
宗一郎は「公害対策技術は公開する」という方針を打ち出し、トヨタをはじめ、ビッグ3と言われるアメリカのフォード・クライスラー・ゼネラルモータースへの技術供与を実施しました。
全てが順調に進んでいた矢先、宗一郎の一言が従業員の「思わぬ反発」を招くことになります。
「ビッグ3と並ぶ絶好のチャンスだ!」
公害対策を解決するエンジンを開発できたという自負と、社員を鼓舞するために出た言葉でしたが、若い社員から宗一郎への失望の声があがっていることを知らされます。
「自分たちは、会社のためではなく、社会のためにやっているのだ。おやじにあんなことを言わせないでくれ!」
副社長から社員の言葉を聞いた宗一郎は、ハッと我に返ります。
「いつの間にか、私は企業本位の発想になってしまっていた・・・」
”技術は社会のためにある”が信条だった宗一郎は、自分が知らない間に「会社を大きくする」ことに発想が変わってしまっていることを猛省し、このまま社長を続ける資格はないと社長職を辞する決断をするのです。65歳でした。
のちに、この引き際の素晴らしさは多くの日本の経営者の心を打つことになりました。
この本田宗一郎の引退エピソードは、働くことに対する意義とはなにか・・・を語っているように思われます。
会社で培った技術を社会のために役立てる。
排ガスを減らし「青空」を子供のために残す。
そういった社会貢献という信念のもとに人は働く。
試行錯誤の繰り返しで生まれた技術が社会に認められた結果、会社が大きく成長していくのであって、儲けとか、名声とかを考えてはならない。そういう教えだと思います。
引退後、宗一郎は全国にあるホンダ販売店や工場めぐりを実施します。
多くの社員に感謝の言葉をかけ、握手をしたそうです。
ある工員が握手する際に、自分の手が油まみれになっていることに気づき、手を引っ込めてしまいますが、宗一郎は「これがいいんだ。この油まみれの手がいいんだ」といって、しっかり握り締めたあと自分の手に付いた油の匂いを懐かしそうに嗅いでいたそうです。
こういう本田宗一郎の人柄が世界をリードする企業を作り上げたといえるでしょう。